あの子が今夜やって来る

     仕立て屋のアルときたら、腕はいいし、みかけによらずやさしい心の持ち主でもある。

ただ、酒ぐせの悪いのがね、というのが通り相場であった。

 ふだんはおとなしくて無愛想なのが、いったん飲みだすと人がかわってしまう。だれか

れかまわず大声ではなしかけるのはいいとしても、ささいなことでけんかをふっかけられ

てはかなわない。しまいには正体もなくなって、どこであろうと眠りこむ。そうなる前に

ほどほどでよしておけばいいものを、それができないのが困りものだった。

 欲がないというのか、飢え死にしない程度にかせげればいいと思っているらしく、それ

以上の注文はことわって、昼間から飲んでいることもあった。

「あれじゃあからだに悪い。酒をへらしてそのぶん仕事に欲をだせば」

 町の人たちはいった。

「国中でいちばんの仕立て屋にでもなれるんだが」

「まあそういうことは」

「おこりっこないさ!」

 仕立て屋のアルがお酒をやめたとき、だから、町の人はすぐには信じなかったものだ。

だが、それは正真正銘ほんとの話だった。

 アルには恋人ができたのだ。洗濯屋ではたらく、キララという娘だった。

 かわいそうに、キララの両親は早くに死に、この世にたったひとりの身よりもなかった

「ああ、アル! あんたにもしものことがあったら、あたしはまた、ひとりぼっちになっ

てしまうんだわ」

 キララは大きな目に思いをいっぱいにうつして、アルをみつめた。

「はは! なにをいうんだ。おれがそんなにかんたんにどうにかなってしまうもんか。約

束するよ。おれは酒もやめるし、一生懸命はたらいて、おまえを幸せにしてみせるさ」

 それを聞くとキララは心からうれしそうにほほえんだ。

「約束してくれる? 一生そばにいてくれると」

「ああ! 一生どころか、うまれかわったっていっしょにいてやるさ」

「あたしも…うまれかわってもいっしょよ」

 アルは見ちがえたように仕事に精をだしはじめた。お金をためて、少し広い家を借りた

いと思った。家具も新調したいし、ともだちをよんで、にぎやかな披露宴もしたかった。

 お酒は文字どおり一滴も飲まなくなったが、それほどつらくはなかった。キララの愛ら

しいすがたや声を思いうかべるだけで、どんな上等な酒を飲んだときよりも幸せな気分に

なれるのだから。

 子供用のチョッキから手のこんだ礼服まで、仕事の注文はいくらでもあった。アルは朝

から晩まで、布を裁ち、ミシンを踏んだ。そして、縫いあがった洋服には一つ一つ、めだ

たない場所にさりげなく、「アルの店」と縫いとりをいれた。その縫いとりがあってはじ

めて、できあがりというわけだ。

 「アルの店」の評判は上々だった。

「みてごらん。アルの顔つきがすっかり変わったよ」

 町の人たちはいった。

「ほんとうに。なんだか」

「道の小石にまでやさしくしなくちゃおれないって顔だ!」

 それは婚礼を一週間先にひかえた日のことだった。アルははじめて、キララを自分の家

にまねくことにした。

「おまえにぜひ見せたいものがあるんだよ」

「なにかしら?」

「それは秘密さ。今夜、うちに来てくれりゃわかるんだから」

 アルは、仕事の合間をぬって少しずつ、キララの花嫁衣装をつくっていたのだ。なんと

か仮縫いができたので、いちどキララに着てもらって、こまかいところをなおせば、あと

は仕上がりまでいくらもかからない。でも、キララをびっくりさせようと思って、いまま

で花嫁衣装の「は」の字もいったことはなかった。

「いじわるなアル。でもいいわ。今夜行けばわかるのね?」

「そうだとも! 忘れちゃいけないよ」

 忘れるはずなんてなかった。キララはその日はうきうきした心をおさえるのに苦労しな

がら、アイロンをかけた。

 夕方、おやじさんがキララにいいつけた。

「キララ、この洗濯ものを通りのむこうの靴屋まで届けてきておくれ」

「はい」

 キララは、ぱりっと仕上がった洗濯ものをかかえて外にでた。日はもうだいぶ傾いて、

アルと会える時刻が近づいていることがわかった。その日、もう何十ぺんも思いうかべた

アルの笑顔が、また、自然とうかんできた。キララはほほえんだ。

 でも、その時、むこうからものすごい勢いで馬車が近づいていたのだった。
「ああ、キララがやってくる。キララが今夜、やってくるんだ!」

 アルはさすがに仕事を早じまいして、キララをむかえる準備をした。若い娘の好みそう

な、甘いお菓子をいくらか買ってきた。おなかもすくにちがいないと、パイやソーセージ

も買って、テーブルに並べた。それから、乾杯くらいならいいだろうと、ぶどう酒も手に

入れてきた。グラスをふたつ、そっとのせると、いかにもこれから楽しいパーティーが始

まるようで、アルは思わず、ひゅうっと口笛を吹いた。

 花嫁衣装はトルソオに着せかけてあったが、本場のレースをふんだんに使ったみごとな

もので、われながらほれぼれするほどだった。キララが見たら、どんなによろこぶことだ

ろう!

 だが、かんじんのキララは、約束の時刻を一時間すぎても来なかった。

「とんだフィアンセだよ。これじゃ先がおもいやられるってもんだ」

 待っているうちに、ぶどう酒のびんがちらちらして、どうにもしんぼうできなくなった

「遅れた罰さ! ちょっとお先に失礼してもいいだろう。なに、ほんのちょっとだけさ」

 アルは栓を抜いて、ひとくち飲んだ。ぶどう酒は甘い香りでやさしく鼻をくすぐったか

と思うと、あっという間にのどから胸にすべりおりた。それでも、体の中のほうがほんの

りあたたかくなった気がした。

「ひとくちじゃ味がわからないぞ」

 またひとくち、またひとくち、アルは飲んだ。あたたかみは指先までひろがり、体がど

んどん軽くなった。そうだ、お酒を飲むってことはこんなにすてきなことだったんだな。

アルは思い出した。そうして、たちまち、びんの半分がなくなった。

 とんとんとドアをたたく音がした。

「ノックなんかするなよ! はやく入っておいでったら!」

 おずおずとはいってきたのは、頭のはげあがった洗濯屋のおやじさんだった。

「なあんだ、おやじさんか! 遠慮するなよ。今夜はキララがやってくるんで、ごらんの

通り、たのしくやろうってのさ」

「そのキララのことなんだが…」

「キララがどうかしたかい? さあ、そんなとこに立ってないで、いっしょに乾杯してく

れよ!」

 おじさんはすすめられるままに、ついぶどう酒を飲んだ。キララの身に不幸が起きたな

んて、酒でも飲まなきゃいえないと思った。

 ぶどう酒はじきになくなった。

「しまった。なくなってしまった」

「ああ、お酒なら私が都合しよう」

 洗濯屋はどこからかお酒のびんを何本か手に入れてきた。かんじんのことをいいだせな

いまま、アルに酒をすすめ、自分も飲んだ。

 しばらくすると、アルはすっかり酔っぱらった。おやじさんも酔っぱらって、急に眠く

なった。

「アル、実はキララがばしゃに…」

 もう、ろれつがあやしくなっていた。

「何? キララが…どうしたって……?」

 おじさんは全部いわないうちに、いびきをかいてねてしまった。

 アルはひとりで飲みつづけた。

 とんとんとドアをたたく音がした。

 アルはふらつく足で、ドアを開けに行った。はいってきたのは、制服を着た警官だった

「キララさんの婚約者のアル君、というのは君かね?」

「はっ! おまわりときたぜ。遠慮するない! さ、さ、さ、酒もソーセージもあるんだ

陽気にやってくれよ!」

「私はお酒を飲みに来たのではない。実は、きょうの夕方に起きた事故のことでね。いや

まったくお気の毒なことだった…」

「けっ! か、か、かしこまるなよ。どいつもこいつもしかつめらしい顔をして何がおも

しろいんだ。人生は楽しむためにあるんだぜ。さあ、ぱあっとやってくれ!」

 アルは酔っぱらいのくせに強い力で、警官をテーブルのところへひっぱって来た。警官

は、まっ白の、かがやくばかりの花嫁衣装を見た。それが、いまは亡きキララのためのも

のだということはすぐにわかったから、警官は思わず目頭を熱くした。それがいけなかっ

た。アルのすすめる酒をことわりきれず、いつのまにか警官も酔っぱらってしまった。

 とんとんとドアをたたく音がした。

「今度こそ、キララさ!」

 だが、はいって来たのはでっぷり太った医者だった。

「な、なんだよ。うちにゃあ病人はいねえぞ!」

「失礼ですが、キララさんの婚約者の方ですね? キララさんには身よりがひとりもいら

っしゃらないとか…」

「そ、そうだとも」

「では、お手数ですが、ここにあなたのサインを。いえ、なにぶん人がひとり死んだとな

ると、いろんな書類が必要なものでしてな」

「サイン? サインくらい、いくらでもしてやるぞ…そうか、死んだか…だれが死んだか

しらないが、あんたもたいへんだな…まあ、こっちへきていっぱい飲めよ」

「いえ、そんなわけには…」

 いいながら、医者もことわりきれず、飲み始めた。たちまち医者も酔っぱらった。

 そのつぎには牧師が、葬儀の段取りの相談にやってきた。アルはこれもまたひっぱりこ

んで酒を飲ませた。

 そのつぎには棺おけ屋が、棺おけはひのきがよいか、もみの木がよいかと聞きにやって

きた。だが、アルにひっぱりこまれ、飲んでいるうちに、自分が何をしに来たのかを忘れ

てしまった。
 ひどいどんちゃん騒ぎが始まった。眠っていた洗濯屋のおやじさんも、みんなに起こさ

れ、飲みなおした。

 医者が歌を歌いだし、それが大合唱になった。棺おけ屋はテーブルの上で踊りだし、警

官はバケツをたたいて拍子をとった。洗濯屋と牧師は腕を組んで部屋の中をぐるぐるまわ

った。家中が割れんばかりだった。

「お祭りだ、お祭りだ!」

 アルはばかばかしいくらいに幸せだった。いっしょになって調子っぱずれの歌を歌った

り、わけもなくみんなの頭をぴしゃぴしゃたたいてまわったりした。その間もグラスは離

さなかった。

 やがて急に静かになった。洗濯屋も警官も牧師も医者も棺おけ屋も、騒ぎにつかれてあ

っちこっちにぶったおれ、すうすうと寝息をたてはじめたのだ。

 アルひとりが起きていた。

「なんだい。どいつもこいつもだらしないやつだよ。まったく」

 アルは手にしたグラスの酒を飲もうとした。それは空だった。部屋の床には、びんが何

本かころがっていたが、どれもこれもきれいに空になっていた。

「ちっ、なんてこった!」

 なんだかまだ飲み足らなかった。頭のすみに完全に酔えない部分が残っていて、それが

気に入らなかった。だが、その部分は埋められるどころか、しだいにひろがってくるよう

だった。

「まてよ…洗濯屋のおやじは、キララが馬車にどうの、といってたっけ…それに、なんだ

って警官や牧師までがここにいるんだ?」

 もう真夜中で、柱時計の音が、しんとした中にひびいていた。

「あそこに寝ているのは棺おけ屋じゃないか…ぶるっ、縁起でもない。それに医者…だれ

かが死んだとかいってた…キララに身よりが……?」

 だんだんアルの頭ははっきりしてきた。潮がひくように酔いがさめていき、もつれた糸

玉みたいだったものがするするとほどけて、悲しむべき事実があらわになった。全身から

すうっと血の気がうせた。

「キララが…死んだのか……?」

 アルの両手はぶるぶるとふるえだした。心臓がどきどきと音をたて、やがて全身が心臓

になったみたいに、どきどき、ぶるぶると揺れはじめた。

「……うそだ!」

 信じられなかった。でも、そういえば、連中は確かにそういっていた。第一、あれほど

かたく約束したキララが来ないではないか。

 涙をぼろぼろこぼしながら、アルは、わけのわからない大声をあげて、みんなを起こし

た。

「おおお…起きろ! 起きろ! …みんな、出、出てってくれ……ちきしょう……よくも

……よくも……あああああ」

 何をどうしていいのかわからなかった。悲しかったし、さびしかったし、それに腹がた

った。アルは力まかせにみんなをなぐったりけとばしたりして、目をさまさせた。

 洗濯屋も警官も棺おけ屋も医者も牧師も、しばらくはぼうぜんとしていたが、さすがに

文句をいうものはなかった。めいめい腰をさすったり、足をひきずったりしながら、おと

なしく出ていった。

 たったひとり残された家の中で、アルはおいおい泣きつづけた。

 とんとんとドアをたたく音がした。

 よろめくようにしてアルがドアを開けると、見たこともない男が立っていた。

「はじめまして。アルさんというのはあなたのことで?」

「…そうだよ」

「道にまよったのでおそくなりました。これを届けにまいったのですが」

 そういいながら男がさしだしたのは、一本の縫い針だった。針を使いなれたアルにはち

らと見ただけで、それが、めったなことではみつからない、一生ものの針だということが

わかった。はかないばかりにすらりとした、そのかたち。内がわからしみでるような、そ

の輝き。どこのだれだか知らないが、超一流の職人が精魂こめてつくったものだ。しかも

太さからみて「アルの店」と縫い取りをするには、まさにおあつらえむきだ…。

 思わず知らず縫い針に見入っていたアルは、ふとわれにかえった。悲しみがふたたび頭

をもたげた。

「帰ってくれよ」

「は?」

「帰ってくれよ! おれをからかいに来たのかい?」

「ま、まさか…私はただ…これを届けるようにたのまれただけでして……」

「やかましい! さっさと帰らないと、首ねっこをへし折ってやるぞ!」

 男はあわてて縫い針をアルの手に押しつけ、いちもくさんに逃げ帰った。ばたんとドア

が閉じられた。

「ばかやろう! なにが縫い針だ!」

 顔をくしゃくしゃにしてアルは叫ぶと、縫い針をくずかごの中にほうりなげた。そして

ふたたびもとのようにおいおいと泣きつづけた。キララはそんな恋人をなぐさめたかった

が、縫い針になった身ではどうすることもできなかった。

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