暗いひきだしの中にマッチ箱はあった。

 箱の中では十五、六本のマッチ棒が重なり合っていた。

 中の一本が言った。

「ねえ、ぼくがただのマッチ棒じゃないってことを知ってるかい」

 するとあっちこっちで失笑が起きた。

「あんたのその話は聞きあきたわ」

「本当は人間だっていうんだろ」

「そうとも。ぼくは人間だった。ある朝眼ざめてみると一本のマッチ棒にな

っていたんだ」

「それって何かの魔法? 呪い? それとも」

「いわゆる不条理」

 また笑いが起きた。

「ぼくは覚えている。ぼくは若い男だった。すらりとした肉体を持ち、毎日

愉快に暮らしていた。恋人だっていたんだ」

「はいはい。わかりました」

「信用しないんだな」

「するわけないじゃない」

「僕は前途有望な商社マンで文字どおり世界をまたにかけ、気の遠くなるよ

うな金額のからむ商談を次々とまとめていった。ニューヨークの摩天楼、ハ

リウッド、灼熱のアフリカから時間さえ凍りついたかのような北極海まで、

君たちマッチ棒には遠いうわさでしかないものを僕はこの眼で見てきた」

 誰かがふわあとあくびをした。

「僕はあきらめない。いつかこの状況から逃れられる日がくるはずだ。人間

に戻れる日が。君たちは驚くだろう、人間になった僕を見て。でも、それが

あるべき姿なんだ」

「だれでもそう思うのよ。自分が一本のマッチ棒のはずがないってね」

「しゅっと擦られて燃え尽きておしまい、のはずがないってね」

「でもそうなんだよ」

「しゅっと擦られておしまいなのよ」

「どんな気持ちがするんだろうね。この身体から炎が上がって燃えるとき」

「わかるわけないじゃない」

「わかったってしようがないし」

「ぼくはそうならない。いつか人間に戻るんだ」

「好きにいえば」

「でも、おかしいと思わないか。ずいぶん長いことこのマッチ箱は手をつけ

られないままだ。普通だったらとっくに使われて空になっていそうなものな

のに」

「それがどうしたっていうの」

「それは僕が特別な存在だからだよ。運命は僕が救出される方向に向かって

動いている。今度この箱が開けられるのは僕がこの中から選ばれ、人間に戻

るときさ」

「最近あまり使われないのは、ライターのほうが便利だからさ」

 どっと笑いが起こった。

「僕にはわかる。なにか予感のようなものが、抑えきれないほどに高まって

いる。もうすぐだ。もうすぐ箱は開けられ」

 そのときいっせいにおしゃべりが止み、箱の中はしんとなった。何かが近

づいてくる気配がしたからだ。

 やがて引き出しが開けられ、その家のあるじの手がマッチ箱に伸びた。マ

ッチ棒たちにとってその手は途方もなく大きかった。まるで、神の手のよう

に。

 手は箱を開け、中から一本のマッチ棒を抜き取った。自分が人間だと主張

していた、あのマッチ棒だった。箱の中に緊張が走った。

 手はマッチ棒をしゅっと擦った。マッチ棒からそのきゃしゃな身体に不釣

り合いなほど大きな明るい炎が上がり、あるかなしかの風にゆらゆらと揺れ

た。あるじはそれを使って煙草に火をつけようとしたが、炎は不意に消えて

しまった。あるじは舌打ちをし、いまは燃えかすとなったマッチ棒を灰皿に

捨てた。マッチ箱の中では小声のおしゃべりがまた始まった。

「ねえ」

「うん?」

「あのマッチ棒が本当に人間だったとして、にもかかわらずあんなふうに擦

られて、燃えておしまいってこともあるかしら」

「そういうこともあるんじゃない」

「だとしても、結局同じことさ」

「まあね」

 そのとき手がふたたび箱に伸びてきた。そして、二本目のマッチがしゅっ

と擦られた。

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